【偉人の雑学】あまり語られない明智光秀の豆知識

偉人の雑学

2020年NHK大河ドラマ【麒麟がくる】の主人公、明智光秀とは

沢尻エリカ逮捕のあおりをくらって放送開始が延期になってしまったいわく付きの大河ドラマですが、3期ぶりの戦国物ということで楽しみにしている方も多いかと思います。

さて、今季の主人公【明智光秀】ですが、今までにありそうでなかった理由は、下記の点だと思います。

・前半生が謎に包まれている。
・偉大な主君(織田信長)を裏切っている。
・ライバル(豊臣秀吉)に敗れている。
・最期は農民に殺される。

明智光秀の存在の面白い部分でもありますが、とにかく謎が多い。
まず、出生がわからない。どんな前半生だったかがわからない。表舞台に出てきた頃には立派な教養人として知られますが、その教養をどこで身につけたかもわからない。

このあたり、いくつか説はあるので、有力どころを手探りで交渉しつつ創作していくことになるので、脚本を書く方も二の足を踏んだことでしょう。

更に、織田信長と出会い順調に出世していくところはいいのですが、その理由も謎に包まれたままに本能寺の変を起こし、そのわずか13日後には落ち武者として農民に襲われて生命を落とします。

織田信長と豊臣秀吉という戦国の2大スターに挟まれて、どうしても小物感が出てしまうのが残念なところ。

とはいえ、明智光秀は深く知っていくと本当に魅力的な人物でもあります。
個人的には、勇気を持って挑戦するNHKに賛辞を贈りたいと思います。

明智光秀の人柄

明智光秀の人柄を知るにあたり有力な資料として、宣教師であるルイス・フロイスの書いた日本史という資料が残っています。
当時、織田信長や明智光秀とも面識の合った本人が外国人の目線で書いているため、信用のおける資料とされているものです。

その日本史によると、明智光秀とは、

信長の宮廷に十兵衛明智殿と称する人物がいた。その才略、思慮、狡猾さにより信長の寵愛を受けることとなり、主君とその恩恵を利することをわきまえていた。殿内にあって彼はよそ者であり、ほとんど全ての者から快く思われていなかったが、寵愛を保持し増大するための不思議な器用さを身に備えていた。

※以下ルイス・フロイス日本史より引用 松田 毅一 (翻訳), 川崎 桃太 (翻訳)

ざっくり言うと、新参者で嫌われていたけど、信長におべっかを使って可愛がられていった。
といったところでしょうか。

また、

彼は裏切りや密会を好み、刑を科するに残酷で、独裁的でもあったが、己を偽装するのに抜け目がなく、戦争においては謀略を得意とし、忍耐力に富み、計略と策謀の達人であった

※以下ルイス・フロイス日本史より引用 松田 毅一 (翻訳), 川崎 桃太 (翻訳)

影でコソコソしてる嫌なヤツといった印象を持っていたようです。

これだけ読むと、当時から嫌われてたんじゃんと思いますが、ちょっと待ってください。

明智光秀が統治していた丹波亀山では現在でも光秀の施した善政が伝えられており評判が良いのです。
浪人時代に苦楽をともにした妻を思いやり、織田家中でも最も早く軍法を制定するなど先進的な統治をしていたり、国人衆を家臣に登用するなど、和を重んじる性格であったことも伺えます。

そこで気になってくるのが、フロイスの言ってること本当か?ということです。

もちろん専門家がちゃんと検証しているでしょうから、これは完全に素人の私見なのですが、フロイスの日本史って、1583年から著述が始まっているので、本能寺の変直後なんですよね。

つまり、明智光秀という人が主君の織田信長を裏切って斃し、ライバルの豊臣秀吉に討たれたあとから書き始めています。

そりゃー光秀を悪く書くよね。

という話。
裏切りや密会を好みって、結果論じゃなかろうかと。
光秀が秀吉を破って天下を統一していたらまた違った書き方だったんじゃないかななんて夢想してみたりして。

豆知識

あの内閣総理大臣との関係

明智光秀には「玉」という有名な娘がいます。
細川忠興の正室となった女性で、キリスト教の洗礼名であるガラシャ夫人の名称のほうが知られています。

肥後熊本藩の祖となった忠興から数えて17代目に当たる子孫が、第79代内閣総理大臣の細川護熙ですが、ということは細川護熙氏には明智光秀の血が流れているのではないかと。

調べてみたところ、8代目に当たる細川治年が子孫を残さずに病死してしまい、初代忠興の側室に当たる系統から養子を迎えているので、肥後熊本家におけるガラシャ夫人の血は途切れてしまっていました。

が、細川護熙氏の祖母が初代忠興の兄である忠隆の血を引いているということで、やはり明智光秀の血脈がつながっていました。

今上陛下との関係

現在の天皇陛下の5代前に当たる孝明天皇(明治天皇の父)の母親が、先述の細川忠隆の末裔ということですので、今上陛下にも明智光秀の血が流れていることになります。

明智光秀由来の故事

・三日天下

権力を握っている期間が、きわめて短いこと を三日天下と言いますが、これは明智光秀が本能寺で織田信長を討ってからわずか13日で豊臣秀吉に破れて敗走したことに由来する言葉です。

・天王山

勝負を決める大事な局面を天王山と言いますが、これは本能寺の変の後に京都へ取って返した秀吉が山﨑で明智光秀との決戦に挑む際、交通の要衝である天王山を先に占領したことが勝敗の分かれ目になったことが由来です。

・洞ヶ峠を決め込む

形勢をうかがって、いつでも優勢なほうに荷担できるように待機することを洞ヶ峠を決め込むと言います。

これは豊臣秀吉と明智光秀の決戦の際に、天王山の南の洞ヶ峠に布陣した筒井順慶が戦況を見守りながら有利な方に加担しようとしていたことに由来します。

3つも故事が生まれるような事件は日本史上にも他にないと思われます。
それだけ、当時から本能寺の変は日本中に衝撃を与えた事件だったのかもしれません。

明智光秀と坂本龍馬

明智光秀が歴史の表舞台に登場したのは、朝倉家の家臣であった時代に流浪の将軍足利義昭と出会った頃からです。
すでに40歳近くなっており、信長に仕えるようになった頃は40歳を過ぎていました。

そこからあっという間に織田信長のナンバー2に上りつめ、柴田勝家や丹羽長秀、羽柴秀吉といった名だたる家臣団を追い越して最初の城持ち大名となります。

順調に出世した光秀が本能寺の変を起こして敗走し、落人狩りに散ったのは55歳くらいです。

その間、わずか15年ほど。
いまだに本能寺の変を起こした理由はわかっていません。

司馬遼太郎は坂本龍馬のことを、歴史を動かすために天が遣わした妖精ではないか。役目を果たした彼は成果だけを残して天へ帰っていったといった内容で、”竜馬がゆく”を締めています。

ふと思うのは、明智光秀もまた、天が遣わした妖精だったのかもしれません。

明智光秀と坂本龍馬。
同じ桔梗の家紋を持つ2人は、どちらも素性の怪しい浪人の身分から異常な能力を発揮して、歴史を動かして姿を消していったという共通点があるのです。

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