サッカーファンの間では言わずと知れたサッカー大国ブラジル。
最後にワールドカップを優勝したのは2002年の日韓大会と、近年はいまひとつ成績が振るいませんがまだまだ有力な若手を要しており復権が期待される強豪国です。
今日はサッカー熱にあふれるブラジルで起きたサッカーにまつわる事件を紹介します。
ロハス事件
1990年、イタリアW杯の南米予選でその事件は起きました。
当時の南米予選は9チームが出場し、3チームづつの3組に分かれて戦っていました。
ブラジルはチリ・ベネズエラと同組。
すでに2戦をおこない、3戦目のブラジル対チリは勝った方が本大会に進める大一番です。
勝ち点では並ぶものの、得失点差でブラジルが優位に立っており、チリはなんとしても勝利が必要な負けられない1戦。
ブラジル1点リードで迎えた後半25分のこと。
1人のブラジル人サポーターが投げ入れた発煙筒がチリのゴールマウス付近に落下しました。
すると、直撃を受けたのか倒れこむゴールキーパー。頭部から多量の出血。
すぐさま試合は中断し、安全の確保されない状況では戦えないとチリ側が試合を放棄したことで、ブラジル1点リードのまま終了しました。
怒りが収まらないのはチリ側です。
「ブラジル人サポーターのマナー違反が原因でブラジル有利のまま試合終了とは何事か」
と、猛烈な抗議活動が始まりました。
チリ側の主張は第三国における再試合を求めるものでしたが、この騒動はあっさり終結します。
試合を観戦していたカメラマンにより、発煙筒はゴールキーパーには全く当たっていなかったことが判明し、調査にあたったFIFAによって、あらかじめ隠し持っていたカミソリで頭を自傷したことが発覚したのです。
どうやら、負けそうなタイミングでどうにか試合をひっくり返すための奥の手として用意していたようです。
当然、試合はブラジルの勝利判定で終了。
ゴールキーパー、ロベルト・ロハスと試合直後に診断してカミソリの傷を偽証した医師2人が永久追放の処分を受けたのでした。
ちなみに、ロベルト・ロハスは後に永久処分を解かれ、元のクラブチームでゴールキーパーコーチを務めているそうです。
・・・依頼する方も依頼する方ですよね。
ペレの強盗事件
今も昔もサッカーの神様といえばペレを指します。
ブラジル代表のW杯優勝5回のうち、3回はペレの在籍時の話。
3回のW杯優勝を経験している選手は他にいません。
ブラジルでの名声がどれだけ高いかを示すエピソードがあります。
1999年、引退からすでに30年ほど経ったある日、ブラジル国内で運転中に信号待ちで停車したところ自動車強盗に遭遇しました。
武装した強盗相手に帽子を脱いで、一言。
「ペレだが」
それだけで強盗はビックリして退散したとのこと。
さらに9年後にも渋滞中に自動車強盗に遭いますが、今度は強盗側がペレであることに気づいて、すでに脅し取っていた金品も返却して退散したそうです。
ロマーリオの父親誘拐事件
1994年アメリカW杯直前に、ブラジル代表のエース、ロマーリオの父親が誘拐されるという事件が発生しました。
ロマーリオに要求された身代金は7億円。
慌てふためく周囲をよそにロマーリオはテレビを通じ、犯人に向かって言い放ちました。
「親父を開放しないとワールドカップには出ない。」
正確には、
「親父を開放しないと、ブラジル国民はW杯で幸せになれない」
といった表現だったそうですが、意味はあまり変わらないでしょう。
結果としては犯人が逃亡し、わずか6日で事件はスピード解決したのでした。
凄いのは、その直後のアメリカW杯において、5得点を挙げて本当にブラジル代表の優勝に貢献したことです。
悪童で有名な選手でしたが、有言実行なところもあり今でもブラジルでは絶大な人気があるそうです。
ただ、ロマーリオ不在中の自宅に強盗が入ったことがあり、ロマーリオの自宅と知りながらもユニフォームやパソコンなどが奪われたようです。
若干、ペレとの違いが出されてしまうのはご愛嬌といったところでしょうか。
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