【雑学】人たらしの天才!豊臣秀吉の処世術とは①

偉人の雑学

良くも悪くも話題の絶えない「麒麟がくる!」の放送で戦国熱が高まっています。
今日は明智光秀の最大のライバル、豊臣秀吉について。

秀吉といえば言わずと知れた戦国一の出世頭です。
半農の貧しい出身から天下人まで上り詰めた秀吉は、当時から人たらしで有名でした。
単に軍事政治の才能だけでは天下は取れません。

今日は秀吉の人たらしにまつわる豆知識を集めました。

将を射るにはまず馬から~同僚に気を遣う~

小便を浴びて鷹揚さをアピール

のっけから汚い話で恐縮ですが、下積み時代の秀吉のエピソードです。
新参者の秀吉は、小姓の便所下にわざわざ隠れ、小便を始めたものに向かって、
「小便をかけるのは何者だ!」
と咎めます。相手が
「そこにいるとは思わなかった」
と弁解すると、
「ごもっとも。気になさるな」
と立ち去ったそうです。

誰もがやりたがらない便所掃除を進んでするうえに、小便をかけられてもむやみに怒らない人物であるというアピールでしょうか。

現代でも成功者のエピソードで自らトイレ掃除を行う話はよく聞きます。
もちろん、小便かけられるのは現代においては問題行動になりますが

急な出世でも先輩を立てることを忘れない

秀吉は浅井氏・朝倉氏との戦いで功を立てて、信長家臣団の中でも幹部になりつつある時期に改名しています。

木下藤吉郎から羽柴秀吉へ。

この羽柴という姓については、織田家の重心である丹羽長秀から「羽」を、柴田勝家から「柴」をいただいてとされています。
出自の身分の低さや、急速な出世。

元からいた重臣たちがおもしろかろうはずがありません。

そんな空気を敏感に感じ取っていたのかどうかは知りませんが、可愛がってくれる信長からではなく、脇を固める重臣から名前をもらってというのが秀吉の巧みなところです。

重臣たちも
「こいつ、かわいいところあるじゃん
なんて思ったかもしれません。

もちろん将にも気を遣う

秀吉が初めて城持ちとなったのは1573年、近江今浜の地でした。
そこで秀吉は、「今浜」という土地に信長から「長」をもらって「長浜」と改めます。

自分自身は重臣たちから1文字ずつもらい、支配する領地に殿様から名前をもらう。

羽柴姓は滅ぶかもしれませんが、地名はいつまでも残ります。これ以上ない忠誠心のアピールではないでしょうか。
なかなかの策士です。

お膳立てを整えて、手柄は上司に

秀吉は信長麾下で中国方面攻略の司令官を担います。
強敵毛利の前線基地である備中高松城を水攻めで孤立させ、すでに毛利側の譲歩による降伏を待つばかりという時期に、秀吉はわざわざ信長に援軍を要請します。

もうほとんど勝負はついているにも関わらずです。

援軍要請の手紙も、
「信長様自ら来てくれないととても無理です。」
といった懇願ぶり。

繰り返しますが、もうほとんど勝負はついている状況です。

要するに、あとはとどめを刺すだけという状況で信長に手柄を譲ろうとしていたのです。

結果的にこの援軍要請に応じた信長が出征する途中で本能寺の変に倒れたので、いつまでたっても本能寺の変、秀吉陰謀説が残ることになりました。

これは私見ですが、秀吉は手柄を立てすぎることを嫌ったのではないかと思っています。
中国地方10カ国を擁する大大名である毛利家を討伐することで得る功績は、信長という苛烈な大将の下ではあまりに大きすぎます。
過ぎたるは猶及ばざるが如し。
場合によっては、なんだかんだ理由をつけられて誅殺されるかも・・・。

そんなことを考えていたんじゃないでしょうか。

もちろん、本能寺の変によって一番得をした秀吉を首謀とする説もなかなか説得力はあるんですけどね。

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