【雑学】じつは間違いだらけ?隅田川花火大会の起源の話

雑学

7月28日は隅田川の花火大会

毎年7月の最終土曜日は隅田川の花火大会です。
台風6号が近づいているので、開催が危ぶまれるところですが、やっと長雨が終わった東京の夜空を華やかに彩ってほしいものです。

今日はそんな隅田川の起源にまつわる雑学をお届けします。

間違いだらけの定説とは

以下、定説です。

隅田川の花火大会の起源は1733年(享保18年)に行われた水神祭だと言われています。

1733年(享保18年)、前年の享保の大飢饉は江戸の町にも深刻な被害をもたらし、またコレラの大流行により多数の死者が出ていました。

そこで時の将軍、徳川吉宗が慰霊と疫病退散の祈りを込めてとりおこなった水神祭において約20発の花火を打ち上げました。

それ以後、両国の川開きでは花火を打ち上げることが恒例になりました。

以上、定説でした。

これらはほとんどが創作

じつはこの定説は色々なサイトで形を変えて書かれていますが、そのほとんどがウソっぱちです。

享保18年は根拠無し

隅田川の花火の起源が両国の川開きであることは間違いなさそうですが、その始まった時期の記録や資料は特に残っていません。

後世の人が享保の大飢饉と結びつけるためにこじつけただけです。

コレラは流行してない

日本で初めてコレラが流行したのは1822年のことで、世界的大流行の余波が日本にまで届いたものです。

1733年に日本でコレラが流行した記録はありません。

水神祭は行われていない

コレラは流行っていないので、慰霊することもありません。
享保の大飢饉は主に西日本の話なので、江戸の生活にそこまで大きな影響が出たとも思えません。

もちろん、水神祭が行われたという記録もありません

徳川吉宗は関与してない

当然、徳川吉宗が出てくるような事態でもありませんし、関与した記録は残っていません。

そもそも質素倹約を政策の柱にしていた吉宗が、庶民が花火を打ち上げていることにいい顔をするはずもありません。

公式サイトまで

このでまかせの俗説は、明治から昭和初期にかけて少しずつ尾ひれがついて完成したようです。

今では公式サイトにまで掲載されていますが、得意気に話すと恥ずかしいので気をつけてください。

本当の起源は鍵屋が鍵

どうでしょう?
正直、ここまで事実に基づかない起源説も少ないんじゃないかと思います。
日付以外はすべてウソと揶揄される東スポよりひどい。

実際のところは、当時の江戸の2大花火メーカーであった鍵屋と玉屋が宣伝のために打ち上げたというのが本当のところのようです。

結果的に周辺の料亭などが費用を負担して、5月から8月にかけて行われた両国の川開きの期間中は毎日花火が打ち上げられたということですから、宣伝は大成功だったと言えます。

花火の掛け声「たまや~」「かぎや~」

ちなみにこの鍵屋と玉屋がその花火の腕を競い、見物客たち見比べながらは優れている方の花火の名を夜空に向かって囃しました。それが、花火のときの掛け声である、「たーまやー」と「かーぎやー」の由来です。

と書くと玉屋と鍵屋が同格のようですが、「たまやー」は知っていても「かぎやー」は知らない人も多いと思います。

これは現代に限った話ではなく、当時も圧倒的に「たまやー」が優勢だったと記録に残っています。

玉屋一代記

元々、玉屋の創業者は鍵屋の番頭でした。腕の良さから独立し玉屋を創業。

その花火師としての腕で江戸の庶民から支持を得ましたが、後に出火事件を起こして江戸を追放されてしまい、玉屋はわずか1代、期間にして30年で潰えてしまいました。

今日まで残る玉屋の名声ですが、日本の花火史の中ではわずか30年ほどの活躍なんですね。

それでも、玉屋が追放された後も江戸の庶民は打ち上げ花火には「たまやー」と声をかけつづけたそうです。

それは江戸を去った花火師への手向けだったのか、ただの習慣だったのか・・。

今ではすっかり「たまやー」なんて声をかける人も見かけなくなりましたが、300年近く続いてきた伝統の掛け声が無くなってしまうのもちょっと寂しいですね。

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